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大阪高等裁判所 昭和26年(う)2768号 判決 1952年5月27日

控訴人 被告人 木下伊一郎

弁護人 高坂安太郎 外二名

検察官 小保方佐市関与

主文

原判決を破棄する。

原判示第二の横領並びに物価統制令違反の罪について被告人を懲役壱年に処する。

同第一の物価統制令違反の罪について被告人を免訴する。

原審における訴訟費用中証人松本楠松に支給した分を除くその余は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、本判決書末尾添附弁護人押谷富三、同中本照規連名及び同高坂安太郎各作成の控訴趣意書と題する書面記載のとおりである。

弁護人押谷冨三、同中本照規の控訴趣意及び弁護人高坂安太郎の控訴趣意第一点について。

所論の原判示第二の事実は原判決の挙示する証拠によつてこれを認定するに十分である。弁護人等は、被告人が組合長たる寿和織物組合の組合員吉田繊維工業株式会社に対する昭和二十五年第一四半期の内需綿織物生産用割当綿糸として、横田株式会社大阪支店を荷送人として東洋紡績株式会社二見工場を出荷場所として寿和織物組合あてに本件の綿糸を送荷して来たが、被告人はその前に山田久直と賃織の約定をしていたので、右の綿糸は同人から送つて来た特紡糸(即ち紡績業者が綿糸布業者から供給せられた国産棉又は再生綿を加工した統制外の糸)であると思い、当時糸高製品安の状態であつたので右の綿糸を闇売りして綿布を買入れる意思でブローカー岸本政男に対し右の綿糸を売却したものであつて、横領の犯意はなかつた旨主張するが、前掲の証拠によれば原判決が詳細に説明しておるとおり、被告人は本件の綿糸に添附してあつた送状に「荷受人寿和織物組合、荷送人横田株式会社大阪支店、出荷場所東洋紡績株式会社二見工場、割当大阪通産局二五年一回YO四七一一九号、品名綿糸、銘柄金魚、番手内需<特>二〇番手、内容一〇玉入四〇個、総内容量一〇梱」等と記載してあつたのと、従来からの業者各別リンク制による配給割当並びに受配手続の実際から考えて、右の綿糸は被告人に対する割当分ではなく他の組合員たる吉田繊維工業株式会社宛に送荷して来たものであることを認識しながら、この綿糸をいわゆる闇に流して自己の金融に供しようと企て、右の吉田繊維工業株式会社のため保管中の右綿糸を判示の日勝手に岸本政男に対し金百三十四万円に売却し、うち七十万円は自分の情婦に交付し、六十四万円は自己の債務の支払や遊興飲食、医療費、競輪等自己の用途に費消したことを認め得られる。然らば被告人に横領の犯意のあつたことは明白である。所論の山田久直との約定というのも、同証人の供述によれば単なる下ばなしの程度を出ないものであることが明らかであるから何らの手続なしに所定の配給機関から寿和織物組合あての内需用割当綿糸が突然送荷せられて来たと信じたと言うが如き被告人の弁解は措信し難い。弁護人等は原判決が証拠に援用した被告人の検察事務官に対する第一、二回各供述調書はいずれも任意性のないものであると主張するけれども、原審証人原田貞種、同吉田種弘、同赤井良之の各供述によれば、右の供述が任意性を欠くとは認められないからこれを証拠に採用しても原判決の事実認定に誤を来す虞はない。その他記録を精査し所論に考えても原審の事実認定に誤はないから、論旨はいずれも理由がない。

弁護人高坂安太郎の控訴趣意第二点について。

弁護人は被告人の検察事務官に対する供述調書は、当時被疑者たる被告人に対し単に読み聞けながら作成したのみで最後に閲覧又は読聞けをしていないから刑事訴訟法第百九十八条第四項に違反し証拠能力がないと主張するについて案ずるに、およそ調書の読聞けの方法として、被疑者の供述を録取し終つてからこれを被疑者に読み聞かせるのを本則とすることは多言を要しないけれども、被疑者の供述を録取するに従つて順次これを読み聞かせることもまた調書読聞けの方法として適法たるを失わない。原審第十回公判調書中、原審証人原田貞種、同吉田種弘の各供述記載によれば、被告人の供述を録取した検察事務官原田貞種は被告人に対し「読み聞けながら調書を作成し署名をさす時念をおして本人も承知の上で捺印した」のであるから、被告人の供述を録取するに従つてこれを供述者に読み聞かせ誤がないことを確めた上で被告人に署名押印させたものと認められる。然らば調書録取の方法として少しも違法でない。

次に弁護人は被告人の検察事務官に対する昭和二十五年八月二十五日附第二回供述調書に黙秘権の告知をしていないのは刑事訴訟法第百九十八条第二項に違反すると主張するので、記録を調査すると、被告人の同事務官に対する同年七月十九日附第一回供述調書には、被疑者に対しあらかじめ供述を拒むことができる旨を告げたことが記載されておるのに右第二回供述調書にはその旨の記載がないこと所論のとおりであるが、右第二回供述調書においては同一事項に関する訂正並びに補充申立を録取しておることが明らかであるから、右第二回供述調書が第一回供述調書作成の日から三十数日を経過した起訴後において作成せられていても、重ねて刑事訴訟法第百九十八条第二項にいわゆる黙秘権の告知をする必要はない。

また、前記の被告人の検察事務官に対する第一回供述調書を観ると、その作成者たる検察事務官原田貞種の署名があつて押印がないから刑事訴訟規則第五十八条の規定に違反しておることは所論のとおりであるが、同条違反の効果については特別の規定がなくまたもとより右違反の故を以て法律上当然無効とする旨の規定がないから、同調書の有効なりや無効なりやは一に該調書が真実当該書類作成名義者たる官公吏によつて作成せられたかどうかによつて判定するほかはない。従つて、その調書が当該検察事務官によつて作成せられたことが明らかであるときは、作成者の押印を欠いでおつても有効な書類と解するを妨げない。所論の第一回供述調書の作成者原田貞種の署名並びに同調書の契印と同第二回供述調書の作成者原田貞種の署名押印並びに同調書の契印とを対照すれば右の第一回供述調書が検察事務官原田貞種によつて真正に作成せられたものであることを認めるに十分であるから、同人の署名下の押印を欠くだけでは同調書を以て無効とすべきものではなく、従つて証拠能力を欠くものではない。論旨はいずれも理由がない。

弁護人高坂安太郎の控訴趣意第三点について。

弁護人は公判期日に適式の召喚を受けた以上、言渡期日であると弁論期日であるとを問わずひとしくその期日に出頭すべき責務を有するものであるから、正当の事由なくして右公判期日に出頭しないのはその弁護人自ら期日を怠つたものであつて、このような場合には裁判所は出頭した弁護人に弁論の機会を与えた上で右不出頭の弁護人の弁論を聴かないで訴訟行為をしても、弁護権の行使を不法に制限した違法があるとは言えない。しかしてこの理は判決宣告期日に予告なくして弁論を再開して審理をしても、またその審理の内容が訴因の変更、被告人に対する質問等の訴訟行為であつても、あるいはまた右の期日を怠つた弁護人が主任弁護人であつても、何らの差異を生じないと言うべきである。何となれば、訴訟関係人に対し弁論を再開すべき旨あらかじめ告知することは法律の要求しないところであるから、実務上は再開後の審理が訴訟に及ぼす影響の程度を勘案し、期日を更めて不出頭の弁護人を召喚する等愼重な手続を採ることを妥当とする場合があるけれども、そうしなかつたというて何も訴訟手続上の法令違反となるものではないし、また主任弁護人の制度は、多数の弁護人がある場合において、弁護人に対する通知又は書類の送達について他の弁護人を代表せしめるためと、弁護人の訴訟行為を統制するためのものであるから、主任弁護人が公判期日に出頭しない場合には刑事訴訟規則第二十三条により裁判長は他の弁護人のうち一人を副主任弁護人に指定して訴訟を進行することができるのであつて、主任弁護人なるが故に特に弁論再開並びに審理続行の旨を予告しなければならない筋合のものでもない。

本件について記録を調査すると、原審において、判決宣告期日として指定せられた昭和二十六年八月二十八日第十二回公判期日において、弁護人辻野新一が出頭し、主任弁護人高坂安太郎及び弁護人中村忠夫は出頭しなかつたところ、検察官から昭和二十六年(わ)第八三号起訴状記載の公訴事実第一(大赦令によつて赦免された分)の訴因の予備的変更申立のため弁論の再開を請求し、原裁判所は出頭した辻野弁護人を副主任弁護人に指定(他に弁護人は居らないからこの手続は不要と思われる)した上、右の再開請求について意見を聴いたところ、同弁護人は然るべく決定ありたいと述べたので、原裁判所は弁論再開決定を宣し、検察官から右訴因の予備的変更の申立があり、裁判官が被告人に対しその点に関する補足的質問を為し、次に本件の横領の事実について、被告人の弁解を前提として綿糸受配の手続、輸送の方法、<特>の意味等について補足的質問をした後、反証の取調の請求その他の方法によつて証拠の証明力を争うことができる旨を告げ、訴訟関係人は別に争うことはないと述べ、それぞれ前回と同趣旨の意見を陳述し被告人から最後に陳述することはないと述べ、裁判所は弁論を終結して即時判決の言渡をしたことが明らかである。然らば右不出頭の弁護人が主任弁護人であろうとも、その弁論を聴かないで弁論を終結したことを以て訴訟手続上の法令違反があるとは言えない。論旨は理由がない。

弁護人高坂安太郎の控訴趣意第四点について。

刑事訴訟法第三百十七条に「事実の認定は証拠による」とあるのは、罪となるべき事実の認定は適法な証拠調を経た証拠によらなければならないという趣旨であつて、犯罪の情状の規定については、何らかの資料を必要とはするが、必ずしも厳格な証拠調を経たものでなければならないものでもなく、またこれを認めた根拠を判文上に明示する必要もない。所論の点について原判決は「本件全記録並びに被告人の当公廷での供述及びその供述態度」「証人山原正治の供述調書」等を掲げてその根拠を示しておるのは、原判決が被告人の性格や本件の犯情に関する見解並びにその理由を示した点においてむしろ鄭重であると称すべきであつて、訴訟手続上違法の点はない。

次に職権を以て調査すると、本件公訴事実中、原判示第一に該当する部分について、被告人は昭和二十七年政令第一一七号大赦令第一条第八十七号により赦免せられたから、右の罪について被告人を免訴し、刑法第五十二条によつて本件の併合罪中大赦を受けない罪について刑を定めなければならない。

よつて、刑量不当の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条、第三百八十三条第二号に従つて原判決を破棄し、同法第四百条但し書によつて更に判決する。

原判決の認定する原判示第二の罪に法令を適用すると、被告人の右行為は、刑法第二百五十二条第一項に該当するとともに、物価統制令第三条、第四条、第三十三条、昭和二十五年二月十六日物価庁告示第百五十二号に該当するから、後者について罰金等臨時措置法第二条、第四条を適用し、以上は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条により重い物価統制令違反罪の刑に従い、所定刑中懲役刑を選択して被告人を主文の刑に処し、刑事訴訟法第百八十一条によつて原審における訴訟費用の負担を定める。公訴事実中、被告人が、法定の除外事由がないのに営利の目的を以て、(一)昭和二十四年七月末頃、被告人の肩書自宅において、楠本五三郎、松本楠松、篠岡正景等の仲介斡旋によつて上辻友明から、綿糸単糸左撚チーズ二十番手十二梱を、昭和二十四年五月十六日物価庁告示第三百十九号所定の販売業者販売価格の統制額を金二百四十一万七千三百十二円超過する代金三百二十四万円で買い受け、(二)同年八月初頃、右自宅において、前記の綿糸のうち一梱四分の三を、楠本五三郎に対し、右統制額を金三十六万六千五百二十五円超過する代金四十八万八千五百円で売り渡した、という物価統制令第三条、第四条、第三十三条違反の事実については被告人は昭和二十七年政令第一一七号大赦令第一条第八十七号により赦免せられたから、刑事訴訟法第四百四条、第三百三十七条第三号を適用して被告人を免訴する。

(裁判長判事 瀬谷信義 判事 山崎薫 判事 西尾貢一)

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